DVD 開祖直弟子に見る合気道 会派を越えた友好演武会
合気道開祖・植芝盛平の唱えた合気道の理念のもと、会派を越えて合気道のトップ師範が一堂に会した友好演武会。
さらに、開祖が合気道を創始する上で修行した各種武道の演武が紹介された歴史的イベント。
そのベストシーンの数々を収録しました。
【 詳細 】
1985年、1986年に行なわれた「開祖を偲ぶ」友好演武会と、 1987年に行なわれた「合気道のルーツをたどる」友好演武会のダイジェスト版。 今は亡き武道家、そして現在も武道界の第一線にある師範方の珠玉の演武がくりひろげられる。
(ビデオ スーパー友好演武会をDVD化)
《収録師範》
開祖の直弟子10名による合気道演武。
斉藤守弘、塩田剛三、砂泊かん秀、望月稔、清水健二
西尾昭二、小林保雄、黒岩洋志雄、五月女貢、杉野嘉男(敬称略)
(杉野師範は香取神道流の演武をされた。)
開祖が修行した武道の紹介演武。(第3回友好演武会)
近藤勝之(大東流合気柔術)、吉川浩一郎(鹿島新当流)、島津兼治(柳生心眼流)(敬称略)
【 ビデオクリップ 】
【 演武者プロフィール 】
五月女 貢 さおとめ みつぎ
1937年、東京に生まれる。
1954年10月、鍬守道場に入門。植芝吉祥丸、山口清吾に師事。
1961年4月、開祖植芝盛平の内弟子として正式に合気会本部道場生となる。
1975年5月、合気道指導普及のため渡米。
以来、 合気道スクールズ・オブ・植芝の主宰者として、アメリカ、カナダ、フランスなどで幅広く活動。
小林 保雄 こばやし やすお
1936年、東京九段に生まれる。 小学生の時、講道館に入門。
1955年、明治大学工学部に入学。同年、内弟子として合気会に入門。
1959年、大学卒業後、本部道場指導部員になる。
1969年、合気道小林道場を開設。
その後、多数の支部道場の開設、発展に努め、現在は国内に直轄、
傘下合わせて130以上の道場をもつ。
また海外は、18ヵ国に指導部員を派遣している。
砂泊 かん秀 すなどまり かんしゅう
19 23年、鹿児島県に生まれる。敬虔な大本教信者の家庭に育つ。
1942年頃、合気会の前身皇武館道場で内弟子として修行。
1954年、熊本市に合氣道万生館道場を開設。
植芝盛平の逝去(1969年)を機に合気会本部から離れ、万生館合氣道として独立。
黒岩 洋志雄 くろいわ よしお
1932年~2010年。東京生まれ。
1954年頃、合気会本部道場に入門。
1957年頃より指導を始める。ボクシングの経験があり、技の実戦性やその効用性を強調した。
長年、立教大学合気道部を指導、同部発行の会報誌『和合』に幾つかの記事を執筆している。
西尾 昭二 にしお しょうじ
1927年~2005年。青森県生まれ。
1951年、合気会本部道場に入門。
1955年頃より指導を始める。柔道、空手、居合道、杖道等の経験も豊富で、その各要素が師範の合気道に取り入れられている。
日本各地のみならず、アメリカ、北欧諸国でも頻繁に指導を行なう。
斉藤守弘 さいとう もりひろ
1928年~2002年。茨城県生まれ。
1946年7月、茨城県岩間の合気修練道場にて植芝盛平に入門。
1959年、合気会師範。
1969年、盛平の逝去後、茨城道場長に就任。
1983年、日本武道協議会より武道功労者の表彰を受ける。
アメリカ、ヨーロッパで定期的に講習を行なった。
杉野 嘉男 すぎの よしお
1904年~1998年。千葉県生まれ。
十代の頃から数々の武道に専心し、22歳で柔道道場を開く。
1932年頃、植芝盛平の演武に魅せられ皇武館に入門。
1929年頃に始めた香取神道流を長く修行し、国内外でその指導にあたった。
黒澤明監督の『七人の侍』などの時代劇映画の武術指導を行なった。
杉野道場は合気会川崎支部として合気道も指導した。
演武会では香取神道流の演武を行なった。
清水 健二 しみず けんじ
1940年、福岡県天道に生まれる。13歳より柔道を始め、講道館四段。
1962年、明治大学卒。
1963年、植芝盛平の内弟子として入門し、3年後四段、後に七段を許される。
1970年、清水道場として独立、5年後天道館と改名。ドイツ、オランダ、ベルギーなど、海外の指導も活発に行なう。
2002年、外務大臣表彰受賞。
塩田 剛三 しおだ ごうぞう
1915年~1994年。東京都生まれ。高名な小児科医の家に生まれる。
小学生の頃から柔道、剣道を習い、
1932年、皇武館に入門。
拓殖大学在学中に植芝盛平の内弟子となり、東京、大阪における植芝の指導助手をつとめる。
1941年、拓殖大学卒業後、畑俊六陸軍大将の秘書官として中国へ渡る。
1946年、帰国後、岩間で植芝から教授を受ける。
1952年、日本鋼管や数ヵ所の警察で指導を行なう。
1955年、養神館合気道道場を筑土八幡(東京)に創建。
1990年、国際養神会合気道連盟を設立。
望月 稔 もちづき みのる
1907年~2003年。静岡市生まれ。
1918年、剣道を習う。
1924年、徳三宝の研道館道場に入門、柔術玉心流を習う。
1926年、講道館に入門。柔道の傍ら嘉納治五郎主宰の古武道研究会に参加、
香取神道流など、数々の武道を修行する。
1930年、嘉納治五郎の命により植芝盛平に入門。
1931年11月、静岡市に養正館道場を開く。
1938年、渡蒙。
1951年、柔道指導のため渡仏。西側諸国における合気道指導の端緒を開く。
1981年、国際武道院合気道十段位。
1985年、文部大臣賞受賞。
柔道、合気武道、空手、居合道などの要素を総合した武道(養正館武道)を創始。
近藤 勝之 こんどう かつゆき
1945年、東京に生まれる。大東流合気柔術本部長・総務長。免許皆伝。幼少より武道修業に励む。
東京都江戸川区北小岩にある振栄館道場にて細野恒次郎(武田惣角の高弟)より大東流を学ぶ。
1961年、大東流合気柔術武田時宗宗家に学び、
1966年、武田時宗の直門となる。
1988年に、宗家代理、免許皆伝を授与される。
1994年、大東流合気柔術本部長、総務長に全国支部長会議で推挙され就任。
1963年より武田惣角の高弟・吉田幸太郎にも学んでいる。
植芝盛平は、大東流中興の祖・武田惣角に1915年
入植先の北海道遠軽で出会って以来、惣角の力強い、複雑な大東流技に魅せられ、これを学ぶためには 時間も出費もおしまず、惣角を自宅に宿泊させて個人教授を受けるほどであった。大東流柔術技が 技術面において盛平に大きな影響を与え、後の合気道技の基礎につながったといっても過言ではない。
吉川 浩一郎 よしかわ こういちろう
1918年~1993年。茨城県に生まれる。
小学校4年生から祖父の高弟より新当流を学ぶ。
1934年の父の死去により、第64代宗家を継いだ。
大学卒業後は、奈良県橿原神宮、北海道神宮、鹿島神宮に奉職。終戦後茨城県庁に入り、
1976年退職。日本古武道協会理事などをつとめた。
500年の歴史を持つ鹿島新当流の剣は合気剣の発展に大きな影響を与えた。
1937年、植芝の要請により合気会の前身皇武館道場に3人の高段位指導員を派遣している。
吉川氏の記憶によると週1回のこの講習において、「表太刀」と呼ばれる基本の12の太刀の教授が行なわれたという。
島津兼治 しまず けんじ
1938年、東京に生まれる。幼少より古流武術に興味を持つ。
1955年春、柳生心眼流の相沢富雄師に入門。
後継者として破格の早さで相伝を受ける。師の遺言により一関の星国雄宗師に師事。
この間、各地の柳生心眼流をたずねて正伝を研鑽。
1974年、柳生心眼流竹翁舎開設と同時に、武道医学研修会を立ち上げた。
柳生心眼流が、東北の仙台藩で伝えられ、のちに関西方面に伝わったとされているが、植芝盛平は、兵役時代の1905年より数年間、大阪府堺市でこの柳生流柔術を学んだとされる。
収録内容
第1回 開祖を偲ぶ友好演武会 (1985年)
1985(昭和60)年4月7日(日)
江戸川区総合文化センター・大ホール
来場者 900名
五月女 貢 合気道スクールズ・オブ・植芝
小林 保雄 合気会
砂泊かん秀 万生館
黒岩洋志雄 合気会
西尾 昭二 合気会
斉藤 守弘 合気会
第2回 開祖を偲ぶ友好演武会 (1986年)
1986(昭和61)年10月25日(土)
江戸川区総合文化センター・大ホール
来場者 650名
杉野 嘉男 香取神道流
斉藤 守弘 合気会
清水 健二 天道館
塩田 剛三 養神館
望月 稔 養正館
第3回 ルーツをたどる友好演武会 (1987年)
1987(昭和62)年9月6日(土)
よみうりホール
来場者 650名
近藤 勝之 大東流合気柔術
吉川浩一郎 鹿島新当流
島津 兼治 柳生心眼流
斉藤 守弘 合気会
(収録時間 86分) 英文字幕付き